『コメディ・フランセーズ-演じられた愛-』
これから少しずつ、大昔に書いた原稿を再掲していきます。
今回は、『寂しさへの処方箋 -芸術は社会的孤立を救うか-』の発刊を記念して、1999年の2月に書いた『コメディ・フランセーズ-演じられた愛-』(フレデリック・ワイズマン監督)の映画評を掲載します。
まだ、このときは、自分がこの後フランスでたくさん仕事をするようになるとは思っていなかった時代の原稿です。
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一昨年、東京に新国立劇場と呼ばれる新しい劇場ができた。近現代の演劇を上演する日本で最初の国立劇場である。その組織、運営に関しては様々な問題があるが、趣旨から外れるので、ここではそれには触れないでおく。
この新国立劇場の開業にあたって、日本の多くの演劇人が、それまで考えもしなかった「演劇の公共性」という問題に直面し、様々な論議が交わされた。「演劇の公共性」とは何だろう。平たく言えばそれは、医療や教育と同様に、演劇を市民生活になくてはならないものと考えるということだろう。貧困や無知が原因で、教育や医療行為が受けられないということはあってはならない。同様に、広く国民に芸術、演劇を享受し、また参加する機会を保証しようということが、すなわち「演劇の公共性」を認めるということになる。
前置きが長くなった。コメディ・フランセーズの歴史は、すなわち、フランスにおける「演劇の公共性」を巡る歴史である。『コメディ・フランセーズ-演じられた愛-』という映画は、現在のコメディ・フランセーズの記録であるが、同時にこの劇場と劇団の歴史の重みを十二分に表す仕掛けになっている。
コメディ・フランセーズとは、本来、フランス俳優協会という意味を持ち、フランス演劇界を代表する劇団であり、また最大の国立劇場でもある。フィルムは、この多様な側面を持つ組織を、舞台の実写を織り交ぜながら、丹念に記録していく。挿入される音楽もナレーションもなく、ただカメラは、淡々とこの巨大な組織の全貌を明らかにしていく。稽古風景、舞台美術や衣装制作などの裏方、経営委員会、年金を巡る討論、劇場の様々な設備。
絶妙に編集された映像から、私たちは、ここが、とてつもなく巨大な演劇的知の集積地であることを理解する。この劇場のモットーは、ラテン語で「シムル・エト・シングリス」(個々の力を協同して)である。人々が知恵と力と勇気を出し合い、そして分かち合って、一つのことを成し遂げる。劇場と劇団の理想型がここにある。高い芸術性を獲得することがすなわち、高い公共性を獲得することでもあるのだという、厳しい認識も示される。
もちろん、コメディ・フランセーズも組織としての問題点はあるだろう。だが、フレデリック・ワイズマン監督は、その様々な問題点も含めて、ここに集う半ば宗教家のような情熱の人々を、深い愛情を持って描き出す。
そうなのだ。日本の新国立劇場との一番の違いは、おそらくこの点にある。
驚くべきことに、そして考えてみれば当然のことなのだが、コメディ・フランセーズには、演劇を愛し、至高の演劇作品を創ることに強い情熱を持った人々しか存在していない。これが日本の国立劇場との大きな差異である。さらにもう一点、大きな違いは、ここに集う人々は、誰もが、演劇を人生になくてはならないものと信じて疑わないのだ。
名優ピエール=エメ・トゥシャールは、劇団を去るにあたってこう語ったという(『コメディ・フランセーズ』文庫クセジュ白水社)
「コメディ・フランセーズは、三世紀近くの間、無理解と敵意がだんだんに強まる世界の中で奇跡の力で続いてきた大変に異常な出来事と言ってよい。しかしその奇跡は偶然によるものではなく、数十人の俳優たちが自分たちを育ててくれる一つの職業に対して抱く熱烈な愛情と、数百人の技術専門家のたゆみない献身によるものである」
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