『寂しさへの処方箋 -芸術は社会的孤立を救うか-』抜粋

『寂しさへの処方箋 -芸術は社会的孤立を救うか-』好評発売中です
平田オリザ 2026.02.17
誰でも

新刊『寂しさへの処方箋 -芸術は社会的孤立を救うか-』(集英社新書)たいへん、好評をいただいているようです。

『新しい広場を作る』『但馬日記』『下り坂をそろそろと下る』などに書いてきたことの集大成となります。ぜひ、ご覧ください。

今回は、本書から、二つの文章を、少しずつ抜粋をします。

気になった方は、本書をご覧いただけると幸いです。

平田オリザ

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 孤独死、孤立死は、もちろん本人にとっても不幸だが、社会全体にとっても大きなリスクとコスト負担になる。時間が経って発見された場合、その部屋の臭いはひどいだろうし周りの人のショックも大きいに違いない。当該の部屋はいわゆる事故物件として扱われ、同じアパートの人々もやがて引っ越して行ってしまうかもしれない。そうなると勝ち組であるはずの不動産所有者にとっても個人では負いきれないようなリスクとコストになる。

 だから私たちは考え方を変えていかなければならない。 

 失業した方が映画館や劇場に来てくれたら、「失業しているのに映画を観に来てくれてありがとう。芝居を観に来てくれてありがとう。社会とつながっていてくれてありがとう」と言える社会を作らなければならない。その方が社会にとってもリスクやコストが軽減されるからだ。

 こういった考え方を社会包摂、とりわけ「文化による社会包摂」と呼ぶ。人間を孤立させない政策だ。

 日本は長く地縁血縁型の社会だった。しかしそれは戦後の都市化、工業化によって急速に崩れていく。これに取って代わったのが企業社会だった。人々は社宅に住み、社員旅行を楽しみ、社内運動会に参加し、企業年金に守られて生きていくと信じていた。中小企業も一つの家に喩えられ、経営者と従業員は運命共同体のように成長した。

 しかし一九九○年代以降、グローバル化が進む中で、企業は労働者を守る必要がなくなってしまった。低賃金の労働力を求めて工場の海外移転が進み、国内では非正規雇用が増大する。

 ふと振り返ると、地縁血縁型の社会もすでにない。これが一時流行語にもなった「無縁社会」の正体だ。しかも日本は最後のセイフティネットである宗教も弱い国なので、人間がきわめて孤立しやすい。欧州のホームレスはいよいよ危ないとなったら教会に駆け込むのだが、日本の神社仏閣にその機能は弱い。日本は世界の先進国の中でも、もっとも人間が孤立しやすい社会となっている。

 厳密には、こういった状況を単なる「孤立」「孤独」と区別して「社会的孤立」と呼ぶ。孤独や孤立はそれ単体では悪いことだとも限らない。人間には孤独に耐えて生きていく力も必要だろう。「社会的孤立」とは物理的な孤立や孤独のことだけではなく、家族や社会とのつながりが全くなくなってしまった状態、薄くなってしまった状態を言う。いま、これが深刻な問題となっている。

 先に示したように、社会的孤立は個人の問題に止まらず、社会全体にとっても大きなリスクとコスト負担になる。だから私たちは、どうにかして個々人を社会につなぎとめておかなければならない。これは人道や道徳の問題だけではなく、社会全体にとって、あるいは経済にとっても避けて通れない課題なのだ。

「社会的孤立」の項でも説明したように、孤立そのものが悪いわけではない。社会とのつながりを失ってしまうところが問題なのだ。孤独が悪いわけでもない。孤独と、あるいは寂しさと向き合う力を失ってしまうことが躓きの始まりだ。

 演劇でも文学でも、あるいは他の芸術でもいい。多くの優れた作品は、孤独と向き合った結果として生まれてくる。もしも人がある小説を読んで、その人の魂が「人間の孤独」について深く触れたと感じたとき、すでにその人は社会的には孤立していない。たとえその人が無人島に暮らしていても、彼/彼女は芸術によって人類や社会とつながっている。

 逆に言えば、陰謀論などに巻き込まれ、排他的になってしまった人は、いくらその人数が一定数あったとしても、社会的には孤立している。孤立しているから他者を排除する。ただ、その人たちに、「寂しいんですね」と言ってもその声は届かない。反発が待っているだけだ。

関心共同体において、芸術や、スポーツも含めた文化の果たす役割が大きいのは、常にそれが他者理解を促すからだ。一致団結して同じ神輿を担ぐのではなく、バラバラな人間が、バラバラである寂しさに耐え、少しでも共有できる部分を見つけていくために、この新しい共同体はある。  第二章でも触れたコロナ禍の時代を思い出してほしい。政府はヒステリックなほどに「Stay home」という言葉を繰り返した。しかし、houseとhomeは異なるのだ。houseは物理的な「家」。しかしhomeは「帰るべき場所」「帰属するべき共同体」だ。「Stay home」が叫ばれた際に、日本社会にすでに一定数、帰るべきhomeを持たない層がいることが顕在化された。そしてこの人々が自粛警察になったり、あるいは陰謀論に飲み込まれたりして敵対してしまった。

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